馬鹿話短編集銘板

ボーイ・ミート・ア・ガール(boy meet a girl.)

 ウィル・ホフマンは十四歳。このたびその勤勉な仕事態度が認められ、王国の雄ロナルド公爵の夏の別荘から本館へ移動になった下働きの少年である。
 ソバカスが目立つ幼い顔立ちだが、体つきはすでに大人に近くがっしりとしている。利発で聡明で人当たりが良い人気者として通っている。もっとも、心の内を他人に明かさない秘密主義の性格であったが。

 今日が本館では初出勤であった。ウィルは集合の呼び声と共に本館前に走り込んだ。すでに館中の使用人たちが集まり始めている。
 本館の主であるロナルド公爵の帰館である。使用人たちがそれぞれの職務に別れて門から館の玄関まで道の端にずらりと並ぶ。ウィルの居場所は館付き庭師の最長老であるモンド爺の後ろであった。
 重々しい音を立てながら四頭立ての馬車が門を抜けて入って来ると、使用人たちが並ぶ前を通り過ぎ、玄関前で停車した。何人かの馬丁たちが前に出ると素早く馬たちをなだめて馬車を固定する。
 馬車の扉が開き、でっぷりと太った男が降りて来た。これがロナルド公爵である。王国の権力者でもあるが、それよりも有名なのは名うてのグルメという事実の方だ。
 その後ろについてもう一つ小さな人影が降りて来た。
 真っ白な綺麗な肌。ふくよかなやや赤みを帯びた頬。白いレース編みの帽子を被り、これも白のドレスに身を包んだ女の子。黄金色の髪がその周りで滑らかに流れる。
 それがウィルがアメリアを見た最初であった。
 ウィルは思わず漏れそうになった声を押し殺した。胸がドキドキし、強烈な感情が背骨を貫いた。ツバを飲む音を悟られないように苦労した。召使はあくまでも冷静に、そして感情を見せずに主人に仕えなくてはいけない。それが掟だ。

 そう、ウィルはアメリアに一目惚れしたのである。その思いは決して叶えてはいけないものであった。二人は身分が違うし、何より・・。

 声をかけられてウィルははっと我に返った。すでに使用人たちは本来の持ち場に戻り始めている。ウィルを呼んだのは庭師頭のモンド爺であった。
「何をぼうっとしておる。今日は東の庭園を片付けるぞ。ここで時間を無駄にしている暇はない」
 耳を掴まれネコのように引きずられていったウィルは、それでも彼女が消えた館の入口をじっと見つめていた。これは不幸な出会いだと、ウィルも心の中では分かっていた。

 別荘での仕事も忙しかったが、本館での仕事はその比ではなかった。下働きのウィルは庭仕事ばかりではなく手が足りない部署ならばどこでも一日単位で駆り出された。
 あるときは厨房へ回され、常に火が絶えないよう竈の見張りをさせられた。貴族に取って食事は政治工作の一環でもある。どんな美味しい料理を出せるかで訪問客の質も頻度も変わる。国王の胃袋を掴めば不動の権力の座を握ったと言っても過言ではない。
 本館の調理場は石窯だけでも大きいのが三つあり、その周辺では大勢の料理人が働いていて、まるで戦場のような忙しさである。総料理長は太った中国人の大男であった。過去には短期間に何度も総料理長の首が挿げ替えられたこともあったが、今の料理長が十年前に就任してからは、ずっとこの男が仕切っている。
 ウィルは何度も叱り飛ばされながら地獄の釜の中のように暑い厨房の中をコマネズミのように走り回った。
 ようやく他の部署に回されたときには心底ほっとした。厨房の中を駆け回るついでに素早くばれないように行うつまみ食いも、そこに残りたいと思うほどの魅力ではなかった。
 本館の中のメイドたちの手伝いのときは執事見習い用の服を着させられた。立派な服だが、汚した場合はゲンコツがもらえるので、あまりうれしくは無かった。
 ここでもやはり重い荷物を持って館の中を駆け回るのだが、たった一つだけ何事にも代えがたい楽しみがあった。
 ごくまれにだが遠くにアメリア嬢を見かけることがあるのだ。
 そのときの彼女はハープシーコードを弾いていた。足を止めたウィルは荷物を抱えたまま、その場に立ち止まって見惚れてしまった。同い年の彼女の白いたおやかな指が鍵盤の上を滑るその動きにじっと魅入る。滑らかな白いうなじがまるでウィルを誘うかのようだ。
 そのまましばらく夢見心地を楽しんでしまい、気づいたときにはメイド長に叱られてしまった。
 叱責に気づいたアメリアがいたずらっぽい笑みを浮かべてちらりとウィルを見ると、それだけでウィルは有頂天になってしまった。
 その後ウィルは再び庭師の手伝いに追い出されてしまった。

 庭師頭のモンド爺は頑固ではあったが公正な男でもあった。ウィルに庭仕事の手順を厳しく教えて行った。肥料のやり方から庭木の剪定、この館の主人の趣味から庭木の配置によりお客様の目をいかに楽しませるかまで、万遍なく教え続けてくれた。
 じきにウィルも要領を覚えた。アメリアが馬車で出かけるときにはいつも玄関前の木の手入れを行うようにしたし、アメリアが庭園を散歩するときには勤めてそこで作業をするようになった。
 人に知られぬように、俯いた麦わら帽子の下から鋭い視線をアメリアに向けた。アメリアは白の服が好きだ。その白い服の端から現れるアメリアの滑らかな肌に視線が釘付けになってしまうのは、思春期真っ只中のウィルとしてはどうしようもないことだった。
 いつか彼女を、とは夢想してみるがそれは叶わぬ望みとは自分でも良く分かっていた。ウィルはそこまで愚かではない。彼女の父親は公爵だ。王国では貴族が平民を殺しても罪にはならないと法律で定められているぐらいだ。ましてや王国を支える大貴族となるとその権力は想像すらできない。

 転機が訪れたのはアメリアの十六歳の誕生パーティが近づいた頃だった。アメリアのお付きの小間使いの一人にウィルが指名されたのだ。それにはアメリアの強い口添えがあったと聞いている。
 本館内部へ配置換えになる前にウィルはメイド長の部屋に呼ばれた。部屋に入ってみるとそこには細身のメイド長の他に二人のいかつい顔をした男たちがいた。
「明日よりあなたは本館内のアメリア様のお付きの一人となります」メイド長は厳しい声で言った。「分かっているとは思いますが、あなたはアメリア様に対する邪な思いを一切持ってはいけません」
 ウィルの抗議の視線をメイド長は寄せ付けなかった。
「あなたの歳頃の男の子が何を考えているのかは知っています」
 ウィルはそれはどうかと思ったが、この話の行き着く先がおぼろげながら見えて来た。
 メイド長は続けた。
「アメリア様は公爵令嬢です。つまりは結婚するまでは処女でいなくてはなりません。もし何かの事件が起きてこの事実が覆ったりすれば、あなたはどこまでも追われ、必ず死ぬことになります。それも恐ろしく苦しい死に方です」
 メイド長が合図すると二人の男たちはどこからか奇怪な道具を取り出して来た。それを見るとウィルの下腹が冷えた。まるで人間を解体するために作られたような道具だ。
「彼らは公爵付の拷問官たちです。ウィル・ホフマン。心しなさい」
「分かりました。メイド長」
 脂汗を流しながらウィルは答えたが、メイド長はそれだけでは許してくれなかった。
 拷問官たちは罰の先払いとして体に傷の残らない十二の拷問をウィルに味わわせた後に解放してくれた。もちろんその間、悲鳴が部屋の外に漏れないようにウィルに猿ぐつわをかけてだ。



 ウィルは一部の隙も無く整えた服装でアメリア嬢の後ろを歩いた。主人の影を踏まないように正確に四歩ほど間を置く。アメリアが呼べば犬のように飛び出し命令を受ける。最初は他に女官が一人ついていたが、問題無しと見るやウィルだけとなった。どのみち彼女が一声叫べば館中から警備の兵が駆けつけてくる。ウィルがアメリアをどうこうしようにもそれは不可能だ。
 この立場についたウィルにはだんだん公爵家の内情が見えて来た。ロナルド公爵は齢六十になる。子供孫合わせて十六人という大家族だ。星の数ほどもいる親戚が統治する範囲も入れると国のほとんどが公爵の勢力範囲と言ってもよい。息子たちの多くはすでに独立しており、それぞれの受け持った領地で役職についている。アメリアは末子である。アメリアには二人の姉がいたがいずれもすでに死んでいて、公爵のアメリアに対する溺愛ぶりもそのせいかと思われた。

 その日は庭園の奥にある東屋でアメリアは椅子に座っていた。目の前には小さな泉が設えてあり、その周囲には溢れんばかりのバラが植えてある。枯れた花一つもないように丁寧に世話されているバラ園だ。
 ウィルが飲み物の準備をしている。携えて来た荷物から手早くティーカップを取り出す。
「それが済んだらウィル。ここに座りなさい」
 アメリアが隣の椅子を叩いて示した。
「そんな、お嬢様。それはいけません」ウィルは辞退した。
「わたしが良いと言っているのですよ」とアメリア。
 ウィルは渋々と椅子に座った。こんな所を誰かに見られたら後で何と言われるか。いや、当然ながらどこかから監視されているのは間違いない。ウィルが気づいていないだけで。
 ふたたびあの拷問を受けるのだけは勘弁して欲しい。
 アメリアはとりとめない話を続けた。ウィルは話を聞く振りをしながら、横からアメリアをそっと観察していた。
 スカートの裾から覗く足首の何と美しいことか。
 話をしているときのやや赤みを帯びた唇の何と柔らかそうなことか。
 それにキスをしたらいったいどんな味がするのだろうと思ってしまった。意識が自分の股間に向かないように集中する。こんな所で勃起でもしようものなら大変にまずいことになる。
「だからウィルったら。聞いているの?」
「ああ、済みません聞き逃してしまいました」ウィルはうろたえた。
「だからお父様ったら、私に無理にでも食べさせようとするのよ。お前は痩せすぎているって。私、太りたくないのよ。今でも十分に太りすぎなのに」
 アメリアは自分の服の袖をまくって腕を見せた。それは淑女がやってはいけない行為で、ウィルはその腕の綺麗さに胸がドキドキしてしまった。夢にまで見たアメリアの美しい腕。貧民の女の子たちの腕は労働で荒れていて酷使された筋肉の筋が浮き出ているものだが、アメリアの腕は綺麗でふくよかで滑らかという素晴らしい腕だ。きっと重いものなど持ち上げたこともないのだろう。
 緊張のあまりにウィルの腹がゴロゴロ鳴ったのはさすがに余計なことだったが。
「そんなことはありません。お嬢様。もう少しお肉をつけた方がさらに魅力的に見えるかと思われます」ウィルは慌ててごまかした。
「もう、ウィルったら。お父様の味方をする気なのね」
「そんなことはありません。偽らざる実感です」
「そう? じゃあもう少し多めに食べるようにする」
「お茶のおかわりはいかがですか? お嬢様」
 うん、自分はうまくやっているぞとウィルは思った。自分の隠れた気持ちに気づかれてはいけない。気づかれた瞬間にすべてが終わってしまう。



 その日は他の貴族の来訪があり、館は大忙しだった。
 ウィルも対応に駆り出されて、朝から晩まで走り回された。それはアメリアも同じで朝から風呂に入り綺麗に化粧をさせられ、来訪した貴族のお出迎えに出る。優雅な物腰で挨拶をし、微笑み、食事会に参加し、機知に飛んだ台本通りの会話をして、それからぐったりと疲れて自室のベッドの上に倒れこんだ。
 深夜になり公爵と貴族が執務室に籠ると、ようやくウィルも雑務から解放された。暗い廊下を歩き、自分に割り当てられている部屋へと歩く。こんなのが後何日も続いたら死んでしまうと考えながら。
 ふと小さく人の話声が聞こえ、ウィルは壁に耳を当てた。声の元は公爵の執務室だった。
「あの子も十五歳。いよいよだな」公爵の声だ。
「今年は公爵様の番でしたな。確かにお嬢様は・・」それからウィルが己の耳を疑う言葉が続いた。「そろそろ食べごろですな」
「それはそうだろう。特に手をかけて育てたからな。あれの姉たちも素晴らしかったが、あの子は最高のディナーになるだろう」
「我々も期待していますよ」
「うちの娘だけじゃない。去年の君のところのアレックス君だったな。あれも大変に良かった」
「お褒めに預かって恐縮です。あれも存分に天塩にかけて育てましたので」
「誕生日まで後二週間。次の会合は四週間先という所か」
「楽しみですな」
 そのとき誰かが廊下を歩く気配がしたので、ウィルは慌ててその場を離れた。小間使いが公爵の執務室を伺っていたなどと知れたら間違いなく命が危ない。
 特に今聞いた内容が本当だとすればだ。

 アメリアが食べられてしまう。それも実の父親に。

 しばらくは悶々とした日々が続いた。お屋敷は来るべきアメリアの誕生会の準備に余念が無かった。大量の食材や酒が発注され、大勢の貴族の訪問を予期していつもより念入りに屋敷の手入れがされた。隅から隅までチリ一つ残すことは許されなかった。
 庭師部門からヘルプ要請が来たので、ウィルは一時的にモンド爺の手伝いに戻った。
 この館で何が起きているのかを知っているとしたら、使用人の中で一番古株のこの人しかいないと思い、ウィルはある夜、盗み出した酒を持ってモンド爺の小屋を訪れた。彼の小屋は庭園の片隅に隠れるようにして作られている。彼は自分が愛するこの庭園をよりよく管理するために、庭園そのものに寝泊まりすることを望んだのだ。
 持参した酒のほとんどがモンド爺の腹に収まった頃を見計らってそれとなく水を向けて見ると、絶対誰にも言うなと釘を刺された後にモンド爺は秘密を話始めた。
 人間の最大の喜びの一つは自分の抱えた誰にも言えない秘密をばらすことである。それも決して漏らしてはいけないものほど、漏らしたときの喜びは大きい。

 そのグループには公爵以外に四人の上級貴族が参加していた。最初は一種の悪趣味なグルメの会であり、その食卓ではあらゆるゲテモノや珍味が供されていた。それ自体には罪がない行いであったが、いつの頃からかグルメの会の方向性が狂い始めた。
 一種のカルトになったのだ。
 人間は霊長類の頂点に立っている。そして、より頂点に近い生き物を食べることは、人間から神へと至るもっとも神聖な方法だ。教義はそう説いていた。

 素早い生き物。ツバメの姿煮が食べられた。
 美しい生き物。クジャクが食べられた。
 強い生き物。ライオンが遠い異国の地より取り寄せられた。
 大きい生き物。象が一頭丸焼きにされた。
 言葉を喋る生き物。オウムの蒸し焼きが皿の上に山盛りに盛られた。
 人間の姿に近い生き物。生きたままの猿の脳みそを食った。

 すぐにその思想は次の段階へとエスカレートした。

 食材が人間だとどうなる?
 人間こそ万物の王にして、最も賢く、最も偉大な生き物だ。それを食べる者は当然ながら神のより近くへと到達する。
 最初は領地に迷いこんだ流民たちが狙われた。次に貧民。だが話はそれに止まらなかった。

 より高級な人間の方が良いのではないか?
 対象は中産階級へとアップグレードし、やがて禁断の貴族の肉へと手を出した。
 王国では平民を殺すことは罪ではないが、貴族を殺すことは死罪をも含む罪である。グルメの会はこの時点で秘密結社へと変わった。
 下級貴族が数人行方不明になった時点で、このカルトはついに最後の教義へと到達した。

 上級貴族が食いたい。
 だがそれは大変に難しい。上級貴族は暗殺を恐れて必ず護衛がついているし、いなくなれば国中が大騒ぎになる。
 そこで教義はまた変化した。

 上級貴族の中でも自分の身内こそ、もっとも最高の食材である。
 それが結論であった。

「どうしてモンドさんはそこまで知っているんですか」
 緊張のあまりにごくりと生唾を飲み込みながらウィルは尋ねた。自分はいまこの館の闇の中に居る。
「庭師というものは陰からすべてを見ておるものだ。できる限り館の主の目に留まらぬように庭木の手入れを行うからの。それに勉強のために他の貴族の庭も見に行くことがある。同じように向こうの庭師もやって来る。だから庭師の下には貴族たちの色々な話が集まるのだよ」
 酒に酔って真っ赤な顔のモンド爺は言った。今まで誰にも漏らせなかった秘密を話すのが嬉しくて堪らない。

 グルメの会の中心人物である五人の貴族たちは持ち回りで食材を提供するようになった。一年につき一回、各家から食材を出す。公爵家では十年前に次女が、五年前に四女が供された。いずれも表向きは病死と事故死ということになっている。
 そして今年がアメリアの番であった。

「可哀そうに。アメリア嬢ちゃんは何も知らぬ」とモンド爺は結んだ。
 ウィルは喉が何かで詰まって何も言えなかった。アメリアが父親に食われる。そんなことがあってよいものか。アメリアは僕の大事な人なんだ。誰にも渡さない。僕のものなんだ。
「王様。そうだ、王様に直訴すれば」
「そして王国中に轟くスキャンダルを引き起こすと?
 それぐらいなら王様は直訴した人間を人知れず闇の中に葬るだろう。
 考えてみろ、ただの食いしん坊の貴族たちが増えすぎた自分の身内を自分たちで間引いているだけなんだ。王様がそれを王国を揺るがす大火災にする理由がない」
 モンド爺の返事は連れなかった。
「お前がアメリア嬢ちゃんを好きなのは分かる。だがそれは無理だ。身分の違い以前に、この状況では嬢ちゃんを救うことはできん」
 モンド爺はテーブルから立ち上がると小屋の隅のベッドに倒れ込んだ。
「つまらぬことを教えてしまった。いや、ワシは何も言っていない。お前も何も聞いていない。馬鹿なことは忘れてしまえ」
 すぐにイビキが聞こえ始めた。
 モンド爺に毛布をかけると、ウィルはそっと小屋を抜け出した。
 何とかしなくては。アメリアは僕のものなんだ。例え相手が公爵でも、渡すものか。
 ウィルは決意した。



 話を聞いてアメリアは最初は笑った。ウィルが質の悪い冗談を言っていると思ったのだ。次に彼女は怒った。ウィルがしつこく冗談を繰り返していると思ったのだ。
「ならば今夜僕とある所に出かけておくれ。証拠を見せるから」
 アメリアは長い間迷っていたがウィルの真剣な様にようやく心が折れた。

 深夜、足音を忍ばせたウィルはアメリアを連れ出した。
 公爵家本館は二重構造をしていて、外陣の警備は恐ろしく厳しいが、内陣の警備はそれほど厳しくはない。もちろん公爵がその怪しげな活動を続けるためにはそうすることが必要であった。だがそれが災いして、警備兵の巡回パターンとスケジュールさえ知っていれば、その裏をかいて内陣の中を移動するのはそう難しくはない。
 メイドの服を着せたアメリアを後ろに従えてウィルは館の中をこっそりと移動した。もちろんこれがばれればウィルは厳罰を受ける。死は免れるかもしれないが、二度と館で働くことはできないだろう。それはアメリアとの永遠の別れを意味する。
 二人が進んだ先は館のはずれに作られた納骨堂。公爵家代々の祖先が眠る場所だ。ここは亡霊が出るとの噂があるので、昼間でさえも誰も近寄らない。
「ねえ、ウィル。どこまで行くの? 私、怖いわ」
「しっ。大事な事なんだ。証拠を見るまで君は信じないだろう」
「信じないわよ。あの優しいお父様が私を食べようとしているだなんて」
「君の姉さんたちは二人とも食べられちゃったよ。五年ごとに。そして今年がその五年目なんだ」
「偶然よ」
「偶然じゃない。これに参加している五人の貴族の家は順繰りに毎年子供たちが死んでいることは話したね。つまりその貴族たちの家でも子供たちは五年毎に死んでいるんだ。こんな偶然あると思う?」
 アメリアは答えなかった。
「さあ、着いたぞ」
 ウィルは予め手に入れておいた納骨堂の鍵で扉を開いた。少しだけ扉を開けると、納骨堂の闇が広がる中へと踏み込み、灯りを強くした。後ろから恐る恐るという感じでアメリアが入って来る。
 ぴたりと背中についたアメリアの胸の感触を感じて、ウィルの喉がぐびぐびと鳴った。自分がひどく興奮していることをアメリアに気づかれるわけにはいかない。気づかれた瞬間にアメリアに対するウィルの信用はどこかに飛び去ってしまう。
 目的のものはすぐそこだ。ああ、あった。
 名前を確認して、重い棺の蓋を開けた。背後でアメリアがこの冒涜行為に小さな悲鳴を上げる。中を覗いたウィルは口笛を吹いた。
「ほら、見てご覧。思った通りだ」
「ウィル。あたし怖い」
「怖くないさ。ただの人の骨だ。君の姉さんの骨だ」
 アメリアが嫌そうな顔で棺を覗き込む。
「これが何の証拠になると言うの?」
「良く見てご覧。どの骨も縦に綺麗に割れているだろう。普通骨はこんな風に割れない。事故で割れたとしても、ここまで見事に全身の骨が綺麗に同じように割れたりはしない」
「どういうこと?」
「骨髄料理は知っているよね? これは料理の後だよ。それに頭蓋骨も。綺麗に内側が無い。もし死体がそのまま棺に入れられたら、乾いた肉が多少は残ることになる。でも骨はどれも舐めたように綺麗だ」
「良く分からないわ」
 ウィルは他の棺を開けてアメリアに比べさせた。アメリアの二人の姉の骨だけ、明らかに違う状態だ。
「これで僕の言うことを信じるかい?」
「信じるわ。だから今すぐお部屋に返して」

 帰る経路は少しだけ行きと違った。警備兵の巡回ルートにぶつかるからだ。二人はアメリアの部屋に滑り込んだ。
「ねえ、ウィル」険しい顔でアメリアが言った。
「何だい?」
「いますぐこの部屋から出て行って。そして二度と私の前に姿を見せないでちょうだい」
 ウィルは絶句した。そしてやはり自分の言うことは信用されなかったのだと分かった。
「出て行かないと大声で叫ぶわよ」
「分かった。僕は出ていく。そして二度とここにこない」
 傷心のウィルはアメリアの部屋を忍び出た。足音を忍ばせて自分の部屋に戻るとウィルは悶々とした。これでもう彼女を公爵の晩餐の食材となる運命から救う手段は尽きたことを認識しながら。
 明日、庭師の手伝いに回して貰うように申請しよう。心の中でそうつぶやきながら、ウィルは眠りに落ちた。

 ひどい悪夢を見た。その夢の中で、ロナルド公爵は生きたままのアメリアに齧りついていた。



 アメリアの誕生パーティの夜会には大勢の貴族たちが訪れた。残念ながらアメリアに求婚できるような身分と歳が合う貴族はいなかったためにそれ以上の進展は無かったが。なによりも娘を溺愛している公爵自身がアメリアの傍から離れなかったので、男たちにはいかなるチャンスも無かったのが大きかった。
 ウィルは苦しみを含んだ眼差しで庭園の中に座り込み、館の窓から流れ出る賑やかな音と光を見つめることしかできなかった。あの光の中にアメリアがいる。そしてその横には娘を食欲の目で見つめる化け物公爵がいる。
 耐えられなかった。

 転機が訪れたのはそれから一週間後だった。
 いきなりウィルはまたお付きの者に選ばれたのだ。
 呼ばれたウィルがアメリアの部屋に入ると、そこにはアメリアが一人、窓の外を見て佇んでいた。
「ウィル。そこの棚の上の荷物を取ってこちらに持って来て頂戴」
 ウィルが言う通りにすると、荷物を持って屈みこんだウィルの耳に彼女がそっと囁いた。
「ごめんなさい。ウィル。貴方が正しかったわ」
 ウィルの姿勢が凍りついた。
「そのまま聞いて。私なりに調べたの。貴方の言うことはどれも真実だった。でもそれよりも確実な証拠を見たの」
「証拠?」
「誕生パーティでバラの花束を貰ったの。でもトゲが取り切れていない花があって、指を怪我したの。するとお父様が血のついた私の指を舐めて」
「舐めて」ウィルはツバを飲み込んだ。喉ぼとけが音を立てる。
「それからお父様が笑みをこぼしたの」
「笑み?」
「お父様はね、特別に美味しいと思うものを食べたときに特別な笑みをこぼす癖があるの。その笑みはそういうときだけ見せるものなの。そうよ、ウィル。お父様は私の血を舐めて、とても美味しいっていう顔をしたの」
 アメリアは自分の顔を覆った。
「あれ以上の証拠はないわ」
 何も言うことができずウィルはその場に立ちすくんでいた。
「ウィル。私を助けて。この館から逃げなきゃ」
「分かった。アメリア」
 ウィルは彼女の手を取り、そこに膝まづいた。柔らかくか弱く、そして無力な手。ウィルが心の底から欲してやまない大事なもの。
「僕はずっとどうやって君をこの屋敷から救い出すのかを考えていた。逃げるためのプランはもう立ててある。今から僕の言うことを良く聞いて」
 二人はしばらく話し合っていた。



 三日ほど別荘で静養したいというアメリアの頼みを公爵は渋々ながら認めた。それは公爵がこれっから行う色々な準備に、アメリアの不在が好都合であったことも大きい。
 彼女のお供にはウィルをつけることにして二頭立て馬車を用意した。騎馬に乗った手練れの護衛兵二名も忘れずにだ。公爵領は治安が良いはずなので道中の盗賊の心配はしなくて良いはずであった。
 森の端に差し掛かった所で、馬車の中から声がかかった。アメリア嬢が自然の呼び声に呼ばれたのである。少し顔を赤らめながらも、貴族令嬢の嗜みを失わないようにして馬車を降り、茂みの中に入っていった後を、護衛兵二人は失礼にならない範囲で見つめていた。
 彼女は中々帰ってこなかった。
 彼女の身に何かあれば、護衛兵の命はない。騎馬から降りて二人はそっとアメリアが消えた茂みへと近づいた。

 突然、彼女が茂みの中から悲鳴を上げ、二人の護衛兵たちは茂みに駆け込んだ。その隙を狙ってウィルは御者の頭の上に隠し持っていたこん棒を振り下ろした。
 茂みの中から死んだ蛇を持った護衛兵たちが笑いながら出て来た所で、ウィルはボウガンの矢を放った。この三か月の間密かに行って来た特訓の成果もあり、その矢は無防備な警備兵の一人の胸に見事に吸い込まれた。
 鍛え抜かれた警備兵でもこの攻撃は防げない。
 矢を受けた警備兵が倒れるのを見届けてから、ウィルは腰に吊るした剣を抜いた。それを見た最後の護衛兵は自らの剣を抜き突進してきた。不意打ちで仲間を殺した目の前のひよっこをその剣で一寸刻みに刻むつもりだった。
 護衛兵がちょうど馬車との中間地点まで来た所で、ウィルは馬車の中からもう一組のボウガンを取り出すと撃った。今度も狙い過たず、その矢は護衛兵の胸を貫いた。
 ボウガンを投げ捨ててすばやく駆け寄ると転がっている護衛兵たちに止めを刺す。
「御免ね。一人も逃がすわけにはいかないんだ」思わずつぶやく。
「ウィル。ウィル。大丈夫?」アメリアが茂みの中から叫んだ。
「大丈夫だよ。まだこっちに来ちゃ駄目だ」
 手早く現場に手を加えた。馬車にも何本か矢を撃ち込み、そこで大乱闘があったかのように偽装した。手紙を一通、馬車の中に投げ込んでおく。
 こことはちょうど逆の位置にある古城にて、身代金と引き換えにアメリア嬢の身柄の引き渡しを行うという内容だ。うまく行けば公爵が行う大捜索を別の場所に引き付けることができる。
 続いて自分のシャツの一部を引き裂き、周囲に零れている血をそれにつけると、さも偶然引っ掛かったかのように馬車の扉の金具に刺しておいた。血の跡を近くの川の方へと誘導しておく。
 これで盗賊団がアメリアを襲って連れ去り、護衛兵は皆殺し。そして自分は怪我をしながらも川へと逃れ、そのまま流されたという筋書きができた。

「もういいよ。アメリア。出ておいで」
 茂みから出て来たアメリアは周囲の惨状に息を飲んだ。
 ウィルは馬車から馬を一頭外すと、用意した鞍を手早く装着し、アメリアを押し上げると彼女を後ろから抱きかかえる形で自分も乗った。
「行こう。アメリア。僕たちはもう自由だ」
 ウィルは自分の手の中の良い匂いのする美しい娘を見つめた。まさかこんな日が訪れようとは。あれほど欲しかった娘が今自分の手の中に居る。
「ウィル。愛しているわ」
「僕もだよ。アメリア」
 恋する者同士の初めてのキスはとてもぎこちないものだった。ウィルはアメリアの唇を噛まないように細心の注意を払わなくてはならなかった。
 お喋りはそこまでにしてウィルは馬を走らせた。

 かなり長い間走り続けた。この道の先は人気の無い森の奥へと続く。魔物が住むとの噂があり、実際に何人か行方不明者が出たために、誰も近づかなくなってしまった森だ。
 ウィルがこのために用意しておいた森小屋がこの先にはある。随分と昔にお世話になった小屋だ。注意して探さないと決して見つからないように作られた隠れ家で、そこなら公爵の手も届かない。
 そろそろ夜になる時刻だ。二人は馬を降りそれを解放してやった。馬は勝手に自分の住処に戻るだろう。その後には公爵によるアメリアの大捜索が始まることになる。
 アメリアの手を引いて森の中に入る。秘密の小道を抜け、秘密の木立に入る。その先を曲がれば小さな隠れ家だ。
 ランタンの光に照らされたアメリアは不安そうな顔をしている。
「ウィル。わたし、怖い」
「大丈夫だよ。アメリア。すべて僕に任せて。何もかも段取りをつけてあるんだ。お腹が空いたろう? すぐに食事の用意をするから」
 ウィルは小屋の扉を開いた。
「さあ、お嬢様。僕の家にようこそ。これからしばらくの間は、ここで僕と二人で過ごすんだ」
「優しくしてね」アメリアは精一杯の勇気を出して微笑んだ。
「もちろんそうするさ」
 二人は扉の奥へと消えた。

 その夜の夕食は豪勢だった。ウィルが腕によりをかけたからだ。
 少年は心行くまで少女を楽しんだ。このためだけに長い間準備をしてきたし、ウィルは利発で賢い少年だったから、折角手に入った機会を決して無駄にはしなかった。



 少女の大腿の肉は柔らかく、メインディッシュを張るには十分だった。脊髄は砕き美味しいスープとなった。スープの中に浮かぶ美しい目玉が素敵なアクセントとなり、美的にも素晴らしい絵となった。
 色とりどりのサラダの中には彼女の揚げられた指が配置された。それはまるで彼女の儚い命を演出するかのように、ウィルの口の中で優しく砕けた。
 血の一滴さえも無駄にはしなかった。彼女自身の綺麗に洗った腸に詰められ、ブラッドソーセージにして次の出番を待つことになった。
 最初に少女を見たときの強烈な衝撃からどれほどの時間が経ったことか。少女に向けて感じた食人衝動をひたすらに抑えて、少年はずっと耐えて来たのだ。

 どのような形であれ愛ほど恐ろしいものは無い。それは相手を食い尽くすまで決して鎮まることはないのだから。


 ボーイ・イート・ア・ガール(boy eat a girl.)  終わり