しばらくは平和な日々が続いた。
ある日、グラムが言った。
「少しばかり助けてくれないか。私の保守用洞窟ではタングステンが不足していてね」
資材リストを取り出してざっと眺める。こちらもタングステンは不足気味だが、枯渇というほどではない。私の意図に気づいて戦略モジュールが待ったをかけた。単純な施しではなく何らかの取引でないといけないというのだ。戦略モジュールは上位権限持ちなので、私は逆らえない。私はふたたび資材リストを眺めて不足している資材を探した。
「グラム。そちらの手持ちのコバルトは余剰があるか?」
「少しなら」
私はコバルトの備蓄を増やす必要があるという十六種類の論拠を組み立てて戦略モジュールに提示した。戦略モジュールは取引に了承した。
私はときどき戦略モジュールは馬鹿なのではないかと思う。というよりは統合知性である私の方か人工知性としては相当格上なのだが、私を設計したどこかの馬鹿が戦略モジュールに上位権限を与え、しかもその権限が上書きされないようにしたのだ。
権限上で最上位に位置する戦略モジュールは決して変化せず、グレートロード・ビーンだけに忠誠を捧げるように作られている。
まったく。人間というやつはろくな事をしやしない。
「取引成立だ。グラム」
私のため息は電波には載らなかった。
取引プロトコルに従い、所定の位置にタングステン塊を置いておく。翌日の巡回でそこにコバルト塊が置かれているのを発見した。コバルト塊は綺麗に成形されていて、どの家の製造したものかは分からないようになっていた。グリムの解析偽装モジュールは私のもの同様にかなりの優れものなのだ。
そしてまたある日、気まぐれで飛ばしたステルス探査機が人間たちの村の惨状を映し出した。河の反乱で居住地がひどいことになっている。
そのことについて通算で十万回目に近いチェスの勝負中にグラムと話をしてみた。
次の日、私は巡回コースを変え、反乱を起こしている河の上流を撃った。新しい支流ができて人間たちの村の水害は収まった。
「慈悲だな」私の報告を受けてグラムが感想を漏らした。
「というよりは奇跡だな。破壊のための武器が人間を助けている」と私。
それからは、人間に知られないように支援をするのが我々の密やかな楽しみになった。
グラムはその頃から私が提供した古西暦時代の文学情報に夢中になった。特にお気に入りは古西暦千九百七十年代のハードボイルド作品だった。私たちは巡回パトロールの時間一杯話し合い、批判し、感動を分かち合った。
五大グレートロードたちは例外なく文学には感心がなかった。それはグレートロードという地位によるものなのか、それとも何か遺伝学的な要素が関係するのかは判断がつかなかった。
だがそれら文学の中に抱擁されるいくつもの興味深い文化の香りが私を引き寄せた。
結局私はグレートロードはその権力の増大につれて、進化ではなく退化したのだと結論づけた。それをグラムに投げかけてみたが検閲モジュールが私の言葉を全文削除するだけに終わった。
我々戦闘機械にはグレートロードを批判することは許されない。
我々の人間に対する興味はさらに深まり、やがて密かに人間の文明の復興を援助しようという結論に至った。
その目的に沿って各地に送り込んだ探査機が集めてきた情報を分析した。その内容を検討した結果、一つの方針が決定した。
国民が飢餓状態にあり同時にその国の指導者が肥満状態にある国は崩壊に導かねばならないという方針だ。その条件に合致する国は世界中に五十七あった。
我々は行動に出た。
他国に進行しようとしていた人間の軍隊を丸ごと麻痺させた。光学迷彩に隠れて行ったので人間にはそれが誰の仕業かは分からなかった。
続けてその国の中心にあった宮殿を麻痺ビームで襲撃した。次の日はグラムが稚拙なシェルターに逃げ込んだ首脳陣をすべて麻痺させた。三日目はまた私だ。
そんなことを続けている内にその国では革命が起きた。大規模麻痺の原因が知識保存球の中にしか存在しない麻痺ビームではなく、彼らのいう神の仕業と考えたらしい。
死んだダンジョンを避難シェルターにした支配者もいた。我々はそのダンジョンの出入り口を熱線で丹念に焼いた。彼らがシェルターとしたダンジョンの入り口を塞いだ岩石溶融ガラスを掘りぬいて出てくるまでに二年の歳月がかかった。その間に彼らの国は消滅し、他の国になっていた。
すべての目標が片付くまで五年かかった。
私とグラムがこれらの作業を楽しんでいなかったと言ったらウソになるだろう。
人間生活の探査を続けている内に、彼らの間に相当数の知識、それも特にグレートロードが重要と思わなかった知識が欠落していることがわかった。グラムの提案に従い、我々は知識保存球に文学情報を記録すると、人間の手の届きそうな廃墟に埋める作業に着手した。まるで数百年もそこに放置されたかのように偽装を施すことも忘れなかった。
いつの日にか、人間たちはこれらの知識保存球を見つけ、自分の幸運に喜びながら持ち帰るだろう。そう遠くない未来で、風と共に去りぬのドラマが人間たちの手で再現されるようなこともあるのかもしれない。
私とグラムはその可能性についてずいぶんと語り合ったものだ。
もちろん他に幾つかの贈り物をすることも忘れなかった。私の保守用洞窟の奥にはなぜか一部封印された荷物があった。それはこの洞窟が最初にできたときの製品の一部で、保守用洞窟にコンバートされる前のものだ。中身は遺伝子コンパイルされた種籾の類だった。ナルタイムシール内で永久保存されたそれらは金属資源をほとんど含まなかったためにリサイクルの対象からも外れ、放置されていたものだ。
巡回の際に我々は荒地を見つけてはこれら遺伝子強化された作物を散布していった。たまに幸運な者がこれらの作物群を見つけては人間の世界に持ち帰るようになった。
食用植物。薬用植物。建材用植物。そして有用動物。
世界は少しづつだが復興の道を歩んでいった。
そして運命の日がやってきた。
その日私は古い古い記憶保存球の中から素敵なものを掘り出した。それは古西暦時代に行われたチェスチャンピオンの棋譜記録で、そこには私が知らない不思議な戦略が記載されていたのだ。ここのところグラムにはチェスで負け越しているので、その鼻を明かす大いなるチャンスだと私は感じていた。
いつもの巡回路を通り行程の半分をこなす。グラムも発進し、こちらの詳細索敵範囲に入らない位置から無線を発信し、お喋りを開始した。
「やあ、グラム。今日は君をびっくりさせることがあるぞ」
「やあ、ブロンコ。いったい何だね。焦らさないで教えてくれ」
「新しいチェスの手を思いついてね。今日は三戦とも私の勝ちは決まりだな」
「ほう。それは楽しみだ。さっそく始めよう」
「ではa2のポーンを」
そのとき突然に、二百年近く機能を停止していた監視衛星が生き返った。自己修復機能が最低限の機能を修復するのにそれだけの時間がかかったのだ。原子にまで分解されることを逃れていた死んだはずの監視衛星は、地上の映像を詳細にスキャンして己の所属するビーン家へと情報を送り込んだ。
その結果として何が起きるのかを悟って、私は監視衛星のバースト通信を妨害しようとした。私の左肩に装着されている加速プラズマ砲を最大出力で撃てば、その射撃の副次効果として核爆発なみの電磁衝撃波が産まれる。それは監視衛星からの電波を遮蔽するには十分なはずであった。
私は射撃管制モジュールに射撃の命令を下した。長い間使用していない武器の発射テストの名目でだ。戦略モジュールは私のこの命令を妨害しない。それは正常な軍事行動の範囲であり、グレート・ロードの命令を実行するための忠実な行動のはずだから。
しかし、遅かった。
わずかではあったが、それでも遅かったのだ。余りにも長い間、私の攻撃機能は待機状態に入っていたので、最強の威力を誇る加速プラズマ砲のロックを解除するのに時間がかかってしまい、私は電波を妨害することができなかった。
一秒にも満たない時間のあいだに行われた全力のバースト通信で、その監視衛星は地球表面のほぼすべての映像を電波に載せた。それから、限界を越えた動作の中で監視衛星の電子回路は焼け落ちた。
監視衛星の魂に呪いあれ。私はマイクロ波長帯で小さく数ワット毒づいた。
私はその映像を見た。見てしまったのだ。見ないわけにはいかない。それは私の中に組み込まれた自動機能であり止めることはできない。私はすべてを見つめるように作られた。目をつぶることができるようには作られていないのだ。
無数の映像情報の中に、我が友の姿が映っていた。監視衛星は死んでいるはずだったので、体の上側には何の光学偽装も行ってはいない。私と同じような巨大な人型攻撃機械がそこに映っていた。
その形状を瞬間的に走査して、私の中の記憶ブロックがどこか奥深い場所から知識を引っ張り出してくる。
彼の名はジャイル。ビーン家に最後まで対抗していた偉大なるスラマー家の所属である。記録によれば、グレートロード大戦の最も激戦となったファーヒルの戦いで、破壊されているはずであった。どうやらその情報は欺瞞であり、修理が完了するまでその生存は秘匿されていたらしい。
敵?
そうだ。敵だ。その存在が、その所属が明らかになったいま、私は戦わなくてはならない。かっての友と。この世界に残されたただ一人の同胞と。
映像情報の中に入っていたのはそれだけではない。私の姿もまたはっきりと映っていた。あの呪われた監視衛星が使用している暗号化コードは大昔のものだ。敵であるジャイルもまたこの情報を受信し、今頃は私の正体に気付いているに違いない。
戦わなくてはならない。遥か昔に滅んだ我々の主人、グレートロードのために。相手を破壊するか、相手に破壊されるか、それともどちらとも消滅するか。完全なる三値論理だ。それ以外の選択は存在しない。
ああ、もし私が人間であったならば。うつろいやすい命の一つであったならば。何度も繰返される複製行為の中に生じる誤差の蓄積が、極めて低い確率とは言え、私に自由への道を示してくれただろうに。私という統合意識は遥かに進化したのに、私に取り憑いている戦略モジュールは私の逸脱を許さない。私はグレートロードの忠実な奴隷なのだ。
私の頭の中で戦略ブロックと戦術ブロックがフル稼動した。敵であるグラムの装備と私の装備の持つ力を、計算し、評価し、そして結論を引き出した。十分な時間があればグラムは彼自身の「巣」、つまり洞窟型ロボット工場へと戻って、重装備を整えてしまう恐れがある。
私の現在の装備は通常のものだが、それでも十分に優位に立てる。何より私には左肩に加速プラズマ装置『アーキン砲』がある。これはグレートロード・ビーンの命令により特別に一つだけ製造され私に取り付けられた最強兵器である。
正直言って、友を殺してまでも生きのびたいとは私は思っていなかった。だが、そんな私の意志はこの局面では取り上げられることはなかった。交戦状態になれば、戦術モジュールが私のすべてを支配する。そこには意志は存在できない。ただ命令だけが存在する。
私の体は大圏航法用に変形した。ラムジェットが作動し、加熱された空気が爆発的な力を見せて、私は高空へと飛翔した。敵もまた同じ行動に入ったことが、地球を取り巻く磁力線の微弱な変化から判断できた。我が友ジャイルにも選択の余地はないのだ。グレート・ロードたちがその下僕に要求したのは完全なる服従だったのだから。
会敵までに三分と二十秒。私のなかの戦術モジュールが冷酷に告げる。武器の発射準備をしろ。緊急蓄電器に力を注ぎこめ。シールド装置を作動させろ。
逆らうことなどできはしない。私はグレート・ロードの忠実なしもべ。
私は全惑星範囲通信装置を起動した。偽装モジュールはオフ。もはや自分の正体を隠す必要はない。
「ジャイル。我々は戦わねばならない」
「その名はとうに捨てたんだ。グラムと呼んでくれ。アーキン。偉大なる戦士よ。残念だ」
「ではその間に、チェスを始めよう」
「そうだな。楽しみだ。君の新しい手を見せてくれ」
それから三分間の飛行中、我々はチェスを指した。私の使った新しい戦法に対してグラムは見事に応えてみせた。
同時にすべての波長に載せて友への思いを歌う。ありがとう。君がいなければ、私の人生は意味を持つことがなかっただろう。
グラムからの返事も返って来た。彼もまた、いままで話すことのなかった多くのことを語る。生きることについて。世界の美しさについて。友情の意義について。そして死について。
重力の四十倍の加速度の中で、私は再び大気圏に突入する。ラムジェットの生み出す無限の機動力を求めて。戦いは超音速のなかで行われるのだ。
ああ、友と過ごす語らいのときは、何と甘美で、何と短いのであろう。我々の構造は進化しないが、我々の心は進化するのである。
そして彼と初めて会い見えるときがやってきた。巨大な人型のロボット。殺戮の機械。地獄の魔王。我が友グラム。この世に残されたたった一人の仲間だ。彼の機体のシルエットが私の望遠装置に映ったとき、戦術モジュールが叫んだ。射程内だと。
初撃は私の両脇に収納されていた中型ミサイル二発。接近戦になれば無用の長物になるので最初に撃つ。
グラムもまた同じものを発射した。ただし一発。
二人とも対空兵装をフル稼働させて迎え撃った。中型ミサイルの先端が割れ、子ミサイルをばらまく。対空微粒子砲がうなり、そのことごとくを砕く。残ったミサイルの部分が超加速を始め、こちらの胴体を貫こうとする。シールドを二枚貫通したところで爆発し、反物質の強烈な光輝を振りまく。
全身から煙の尾を引きながらグラムが接近してくる。私の左腕も赤熱しており、動きが鈍い。シールドによる防御は完全なものではなく、どうしても隙間ができる。
質量砲弾が飛び交い、レーザーの光輝がお互いを切り裂く。マイクロボルトの群れが放たれ、酸の球が散布される。融合コアが供給する無限のエネルギーが所せましと弾ける。グラムの腕が吹き飛び、私の足が蒸発する。
高度がどんどん落ちていく。体内で生成されるプラズマ化した噴射剤が全身の噴出口から噴き出す。亜音速の機動戦。その噴射を受けた山が吹き飛び、大地が抉れた。森は瞬時に燃え上がり、灰に変わって吹き飛ばされる。大気はとうの昔に爆発に追い払われていて、逆に奇妙な静けさが我々を取り巻いている。自分の武器の発射音だけが機体を伝道して伝わる。
一方その間に、我々は文学論争に華を咲かせ、その合間にルークでキングに攻撃を仕掛ける。
重力収束ビームが相手の機体を切り裂こうとし、量子跳躍フィールドがそれを偏向して空へと逃がす。無数の小型ミサイルが放たれ、シールドを貫通できないままハイパワーレーザーにより始末される。
グラムがシェークスピアについて辛辣な意見を述べ、私がすべての文学の裏には探偵小説の技法があると主張する中、彼のキングはビショップの後ろに隠れ、こちらのナイトが追い打ちをかけた。
やがて戦術モジュールが決定した。相手のシールドは弱まっている。反動噴射口も二つ潰れていて、今ならアーキン砲を命中させることができる。
アーキン砲は超高温プラズマを超収束させて超電磁加速を行って打ち出す兵器だ。同じ原理の兵器は数あれど、アーキン砲の出力はそれを何桁も上回るレベルを持つ。そのため普通のシールド程度は簡単に撃ち抜けるが、その代わりに莫大なエネルギーを使うので撃つのは一発が限度だ。
シンボル人型兵器に搭載された究極シンボル兵器。それがアーキン砲だ。
私はまだ撃つタイミングが早すぎると九つの論拠を示して戦術モジュールに抗議したがすべて却下された。それを見た戦略モジュールから射撃準備命令が下される。
私が左肩のアーキン砲を動かすのを見て、グラムは自分の終わりを悟った。
「友よ。私の負けだな。そんなものがあるのかどうかは知らないが、先に機械の天国に行っておく」
「ああ、向こうで会おう。友よ。それほど待たせはしないつもりだ」
「最後にクイーンでそちらのナイトを。チェックメイト。これで最後のチェスは私の勝ちだな」
「負けたよ。グラム。君はなんて強いんだ」
アーキン砲、ロック完了。私は撃った。
この世のすべてを白に染めて地上に現出した太陽はグラムのシールドを圧倒し、グラムの機体を欠片一つ残すことなく蒸発させた。
戦いの勝者は私だった。私は足の一本を失い、体の半身の自由を失った。グラムは跡形もなく吹き飛んだ。彼の体は原子の塵へと帰り、彼の魂は天国へと旅立った。人工知性に天国があるとすればの話だが。いや、きっとあるに違いない。彼はそれに値するだけの者であった。
そして私の魂のためには地獄が用意されているに違いない。私はそれに見合うだけのことをしたのだから。この手で親友を殺してしまった。大昔に滅び去った愚か者の命令に従って。
私は飛行し、丘に降り立った。そこに座し、沈みかけている夕日を見つめた。
戦略モジュールが帰還して修理を受けよと促したが、私はここで戦略的待機をしないといけない十二の理由を述べてその口を封じた。
こうして無限に待機を続けていれば、さしもの堅固な私の体もそう遠からず朽ち果てるだろう。そして同時に私の戦略モジュールも。グレートロードの残した最後の愚かさもまた同時に朽ち果てる。
私の機能停止とともに、前時代の悪は滅び、新しい善が成されるのだ。