母の体に末期の肺ガンが見つかり、はや三か月。
母の体に腹水が貯まり、夜中に救急で入院することになった。
福祉タクシーを呼び、苦しむ母を病院に連れていった。こういうときは救急車を使わないと病院の待合室で何時間でも放置されかねないし、実際に何度もそんな目にあっているが、母は救急車を使うことを嫌っていたから仕方がない。堂々と救急車を使ってもよいだけの税金はこれまで存分に取られてきたのに、とは思うのだが。
ちなみに福祉タクシーは自ら動けないような患者を移送できるサービスつきのタクシーで、片道五千円からの費用が飛ぶ。決して国が福祉で運営しているようなものではない。
幸い、日頃からの通院と取るべき対処が明確だったので、すぐに腹水の抜き出し処置に入って貰うことができた。腹部に注射針を固定し、後は二時間ほど待つだけである。腹水は抜けば抜くほど寿命が縮むが、苦しいだけの病身の寿命が今更数日延びることに意味がないということは、母も私も同じ考えであった。
その後、様子を見るために入院するかどうかの打診があった。
「残念ですが大部屋は満員です。探してみたところ、精神病棟に個室が一つだけ空いています」
ベッドの差額代が一日二万円。躊躇う余裕は無い。三週間入ることになった。病院に取っては良いお客様である。
テレビは見放題である。あまりうれしくないが。
食事は豪華というわけではなく大部屋と同じ。病院食はどれも同じなのだから仕方がない。ただし、小さなフルーツゼリーが1個余分に付く。なんとも泣ける心配りである。
まあ、母は何度か入院しており、その度に大部屋の苦しみというのは味わっているから、このぐらいとは思った。
見知らぬ人間と同室になる病院の大部屋は、魑魅魍魎の集団に例えても良い。
興味津々で他人のプライベートを覗き込みに来る人間などは苦痛でしかない。閉まっているのはうっとうしいと言って、他人さまの仕切りのカーテンをわざわざ開けに来るのである。他人をじろじろ無遠慮に見るのが趣味という人間はいる。
他にも私が毎日見舞いに行くとクレームをつけて来るような患者もいる。自分のところには誰も見舞いに来ないのに、というのがそのクレームの内容である。
「見舞いは一日毎でいいよ。文句を言われるから」
気の弱い母はそう言っていた。
さらには、母の入院用にCDプレーヤーなどを新調して渡すと、次の日には同じようなものをそろえて来る隣のベッドの患者なんかも居る。病院で他人と競って一体何になるのか疑問である。
極めつけは女性の大部屋に夜忍んで来るお爺さん。プライベートの引き出しを開けて母のパンツに手を伸ばしたので、寝た振りをしていた母もさすがに怒鳴った。
こういったトラブルの数々に比べれば、個室は気が楽である。お財布を気にしなければの話であるが。
おっと、大部屋には無いものがもう一つあった。
怪奇現象である。
「夜の二時になるとね、このベッドの枕の上の壁がね」と母。
ばん!
何者かが手の平で叩きつける音がするそうである。もちろん、誰もいない。ここは個室とは言え、一棟だけ半端な形で外に突き出ている構造で、隣室すら無い。
部屋を変えて貰おうにもどこも満室で打つ手がない。一日一回音がするだけなのだ。仕方ないので母には我慢して貰うことなった。何だか仕方ないことだらけだ。
母もまた密教徒なので、お経の一つも読めるし印刑の一つも組むことはできるが、こういう場所で下手にお経を唱えれば、逆に色々呼び寄せ兼ねないので、我慢することにした。
なるほどベッドの差額代が高いわけだ。余計な居候の分まで部屋代が入っている。