ずいぶんと昔の話である。
テレビで人形の話を見ていた母がふと言葉を漏らした。
「わたしの幼馴染に人形寺の住職の息子がいてね」
母は和歌山出身である。和歌山の近くには人形供養で有名なお寺がある。全国から人形が送られて来て、それを年に一度供養するのだ。
その寺の住職には二人の息子がいて、そのうちの次男坊を知っているというのだ。
「それがね。ある年、お父さんが死んでしまってね」
修行をしていて法力を持っていたはずの住職が、人形供養に失敗して死んでしまったというのだ。どうやら何かとんでもない人形が混ざっていたらしい。
普通、お寺や神社の神主クラスの人間が浄霊に失敗して酷いことになることは少ない。その場所におわす神仏の手に負えないような相手は、早い段階で断られるからだ。簡単に言えば、わずかなお布施目当てで命を賭ける義理は無い、ということである。
しかし、いきなり郵便で送りつけてこられる人形では断りようもない。その人形がいわくつきであればあるほど、送り主は名前を明かしたがらないことは容易に想像がつく。
断ろうにも送り返す宛が無かったのか?
そんなところだろう。
お寺は長男が継ぐことになった。だがむしろ怯えたのは次男坊の方だったらしい。これでもし長男までもが死んだら、俺は寺を継ぐ自信が無いと。
世界は無情である。
続いて長男が死んだとき、次男は寺を継がなかった。当たり前だが家業より大事なのは自分の命である。
今では臨時の住職が入り、年に一度の人形供養は止めて、集まる人形は地下の倉庫にそのまま眠らせていると聞いた。
母からのこの話を聞いたのは数十年前のことであるし、聞き返そうにもすでに母は鬼籍に入っている。
それゆえに事の真偽は知らぬ。
後年、テレビの怪奇特番でその寺の人形の様子が出た。地下の倉庫というより座敷牢のような所に所狭しと人形が置いてある。テレビカメラが左にぶれ、元の位置に戻ったときには、正面を向いていた一体の人形の顔が横を向いていて、見ていた視聴者から悲鳴が上がった。
テレビ局のやらせは常習だからこれも演出かもしれない。
我がことではなきゆえに、事の真偽は知らぬ。
子供の頃、後ろの百太郎という怪奇物の漫画が流行った。
その中で呪いの人形という話が出ていたと記憶している。
ドイツでの話。女房子供を失った一人の人形作りが、絶望から悪魔崇拝へと走った。悪魔と契約して作り出したのは十三体の呪いの人形。見た目は可愛らしいビスクドールだが中身は違う。この人形たちは自分の意志で動き、旅をし、行く先々で悪さを為す。
人形に魂を宿して召使にする方法は中国での厭魅術にも日本の藁人形にも通ずるものがある。比較的にポピュラーなやり方なのだ。
私は実話怪談を良く読む。別に怖い思いがしたいわけではなく、貴重な情報源だからだ。オカルト自体に遭いたいわけではないが、それが働くメカニズムには大変に興味がある。
最近の実話怪談の中に二件だけ、ビスクドールに関する怪談があった。
ある日、見知らぬ誰かから人形が送られて来る。それから近所で事故が多発するようになる。だんだん事故現場付近での喋る人形の目撃例が増えて来て、人形が怪しいということなった所で、人形が姿をくらます。
そのような話である。
実話怪談と銘打ってはいても、その大半はフィクション、創作と見ている。科学的な検証にもオカルト的な検証にも耐えられるような話は、実はそれほど無い。
しかしそれでも、考えてしまう。
最低二体のやばい悪魔人形が日本に侵入しているとしたら?
しかしながら、事の真偽はやはり知らぬ。