ただ一人怪異銘板

ただ一人 引っ越し

 母が死に、これだけの広さは要らなくなったので、引っ越すことにした。

 引っ越すときに一つだけ、気がかりがあった。
 それは絨毯である。

 この部屋に引っ越して来たとき、自室はフローリングであったため、隙間なく絨毯を敷いておいた。大きな絨毯を買いこみ、まだ空っぽの部屋に敷いた。フローリングに絨毯を敷くときはフローリング材が呼吸できるように、周囲に少し空きを作っておけ、の言葉通りに、周囲を十センチばかり開けて、正確に部屋の形にカットして、分厚い絨毯を敷いた。
 その絨毯の上に家具がどっかと載って、自室の完成である。周囲をタンスと本棚兼用の机に囲まれ、もし大地震が起きたら確実に死ぬ部屋の出来上がりである。
 その絨毯にある日異変が起きた。机に向かって座ると、右足の下に違和感があるのである。その違和感は日増しに強くなり、やがて明確なものとなった。絨毯の一部が盛り上がっている。
 しまったと思った。これはきっと絨毯の下に湿気が溜まり、フローリングの床が腐るかキノコが生えるかしたのだと。
 絨毯の下がどのような有様になっているのか気になったが、何せ絨毯の周囲には重量級の家具が載っているので確かめようがない。めくる隙間すら無いのである。
 フローリングがどれほど壊れたかで、いくら敷金が飛ぶのかが決まる。気が気ではなかった。かと言ってそれだけのために家具をどかすのは無理だ。一人で動かせるほど軽い家具ではない。

 それがついに判るのだ。
 わけを話すと引っ越し屋さんも楽しそうにしている。人間は誰も変わったことが好きである。
 ついに家具が運び出され絨毯だけになった。
 勝負!
 絨毯をめくった。ゴムつきの軍手が一枚、フローリングの床の上に伸びていた。盛り上がりの原因はこれだ。
 全員が苦笑いをするなかで、私一人だけ引きつった笑いになっている。
 引っ越し屋さんが渡してくれたその軍手を、そっとゴミ袋に押し込む。新居にこれをもって行くわけにはいかない。

 そんな気味の悪い軍手を。

 知っているのは私だけだ。この部屋に絨毯を敷いたのは六年前。そのときに持ち込んだのは、絨毯に断ち切りハサミ、そしてメジャーのみ。
 軍手は覚えている。百円ショップで二年前に買った。滑り止めに黄色いゴムで裏打ちされた作業用の軍手だ。その片方は、玄関の小物入れに入っている。

 ではどうやってこの軍手は絨毯の下に入りこんだのだ?
 あんな奥にまで。周囲はすべて重い家具で封じられているのに。
 心の中に光景が浮かぶ。深夜誰もいない部屋の中で、軍手が独りでずるずると絨毯の下に潜り込む光景が。

 今度の新居も部屋の半分はフローリングだが、二度と絨毯を敷くことはないだろう。